脆く崩れ落ちるものがある
弱さではなく 強がったが故の 脆さ
己の 真の心を知らぬが故の 愚かさ
窓を見上げる
手を伸ばす
そこにあるのは欠けた月
真円には程遠いその歪な形も
僕が見ているその角度からの表情でしか過ぎない
真の月はいつだって真円
少し太りすぎたりしないし
爪痕みたいに細くなったりしない
僕の気持ちの真の形
それは僕には見えないけれど
涙が出るんだ
何故 とか どうして とか
そんなの考えるのも億劫なほど
表の涙が延々と枯れることなく溢れるんだ
お医者さんの言葉とか診断とか
先生の言葉とか
教官の語感とか言い回しとか
そして思い出すんだ
アメリカの先生が小さなことを見ててくれたこと
向こうにだって上手い子はいっぱいいる
でもアートの先生はいつも
100に○するだけじゃなくて
“good job!” “nice work!” “wow!” “wonderful!”
“beautiful!”って一言書いててくれた。
いっつもエクスクラメーションマークついてた。
思い出す。
7年生に編入したての頃、Scienceのクラスで
みんなはテスト受けてるけど、私は判んないだろう、ってことで
顕微鏡を渡されて、プレパラートの中身を描いて、って云われて
絵を描くのは好きだから
それに、みんながテスト受けてる、それの代わりだから
一所懸命書いた。
何に注目して描いたらいいのか、判らなかったけれど
とにかく、見えるもの全てを忠実に描こうとして。
時間が経って、Ms.が見に来て。
褒めてくれた。ただ、それだけ。でも、嬉しかった。
しかも、それを伝えるのも私の英和辞書引き引き。
描いて、と伝えてくれるのも、上手、と褒めてくれるのも
一々単語から引かなきゃだめで面倒だっただろうに
褒めてくれた。それが嬉しくて。
9年生のBiologyのクラスでプロジェクトがあって
cell・・・核のレポートで。
イラストを描いて図示して。
それからextraで細胞も描いて
そしたらレポートが返ってきたとき
“nice work! I like your drawing!”って書いてあって
嬉々として描いてたから、そこ褒められると
好きだって云って貰えると、嬉しくて。
Geographyのクラスでgroup workをやってて
他のグループの子達は
オーバーヘッドで地図を映し出して
それを大きな紙に書き写していたのだけれど
私は待っている時間が惜しくてフリーハンドで地図を拡大して。
そしたらそれ、先生が見ててくれて。
なんて云ってくれたのか、良くは思い出せないけど
いいこと云ってくれたのは覚えてる。
あぁ、そうか。
私は褒めてもらいたかったんだ。
口で直接言われると照れ屋だし、ちょっと捻じ曲がってるから
素直に受け取れない部分もあるけど
こうやって“見てるよ”のサインをくれた
アメリカの先生たちが、ひどく優しかったの。
日本に帰ってきてから、それが欠けて
“見てるよ”のサインが無くて
名前も記号としか受け取れなくて
絵を描くプロジェクトなんて無いから、そういうのも無くて。
喪失感。
虚脱感。
アメリカ時代、つらかった。
でも、先生たちは、みんなとは言わない。
けど、ほとんどの先生が良くしてくれた。
外国人だから?
ううん、違うよ。
だって、プロフェッショナル、なんだもん。
先生なんて、夏休みに子どもと同じ長期休暇がある、ってだけで
お給料だってそんなに良くない。
だけど、その長期休暇さえsummer schoolが入れば無い。
でもプロだから。教えるプロだから。
アメリカの教師の世界って結構シビア。
生徒の人気で給料が上がったり
生徒の出来で給料が変わるらしい。
だから、Faleを出した先生や
生徒からの苦情が多い先生なんかは
格下げされていくらしい。
先生たちは掬い上げる。生徒を救い上げる。
extra creditをやれば他の部分でミスしててもカバーできたし
休んでいた分のワークだって後日取りに行けばやらせてくれる
できるだけわかりやすい、やりやすい授業を心がけるし
テスト前にはチャプターのレビューをこしらえたのをやらせて
テストの点数の底上げを狙う。
先生の世界はシビアだから
サービス業で、教えるプロだから
解らない生徒がいたら、それは自分のミスだから
授業時間が終わっても、帰りに先生は自分の教室にいる日がある。
できなかったワークをしに来る人や
質問しに来る人のための時間。
教えるプロ。育てるプロ。
今になって思う。
つらかったけど
認められて嬉しかったんだ って。
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