海梨さんにとって
アメリカ時代を総括して
『良い経験したね』
『なかなかできない体験だよ、羨ましいな』
そう云われるのは、傷を抉られるのと同義。
 
 
 
帰ってきたての頃は
本当に手放しの
『良いなぁ』『羨ましい』
という言葉を聴きすぎて
相手に悪意がなかろうと他意がなかろうと
『そんなに良いもんじゃないよ』
って暗い色のペンキで記憶が塗りつぶされていった。
 
 
 
最近になってようやく
良い所も見えるようになって
それを文字に出すことができるようになったけれど
アメリカ時代を触れることができるようになったけれど
 
 
 
それでも、痛いものは痛い。
 
 
 
何にも知らないひとの『良いなぁ』『よかったね』は
何にも知らないくせに!と、思ってしまう。
 
 
家族旅行のことや、補習校の話は大丈夫。
でも、現地校の話は別。
言葉の通じない場所に放り出された心細い気持ち
何を云っているのか解らない教室で椅子に座っていること
話しかけられても答えられない自分。
 
 
重たい、錘をつけられて、鎖で繋がれたような。
 
 
息苦しくて、生き苦しくて。
 
 
 
多感な時期に浴びせられた母国語ではない英語のシャワー。
言葉を話すことが億劫になって
別に無口な訳でもなかったのに無口にならざるを得ない状況。
話すことが怖い、と抱いた恐怖心。
 
 
人前で話すことは緊張しこそすれ
最高学年代表で入学式で祝辞を云ったこともある。
日本の友達と話すのは別に平気。
 
 
 
なのに。
補習校でさえ、特定の友達以外と喋ることが
これ以上なく怖くて、慣れるまで時間がかかった。
 
 
 
喋り言葉は、怖い。怒鳴り声が、怖い。
誰かを傷つける言葉が、怖い。
 
 
あなたがなにをかきたいのかわからない
 
 
だって、何を書いたら良いのか判らなかった。
先生との意思疎通さえ、できなかった。
やっとのことで聴きとって、頭の中で理解した言葉。
 
 
怖い、怖い、怖い。
 
 
 
 
 
総数が100だとして
80良い事があったのだろう。
20悪いことがあったのだろう。
きっとみんなは総括して全体を見てそれを『良』と見做すんだろう。
 
 
 
でも、20が見えるの。
いいことは、確かに良いことだった、って思えるようになった。
でも、20が消えない。
ひょっとしたら20じゃないかもしれない。
ホントは90が良いことで
10悪いこと、傷ついたことで、それを過大視してるのかもしれない。
 
 
 
 
それでも、10あったこと。
それが消えてくれない、忘れられない。
痛みが残る。息が詰まる。
 
 
小学校生活だって、嫌なことばかりじゃなかった。
それを嫌だったって云われて悲しかった。
私にだって確かに嫌なことや悲しいことや辛いこと在った。
 
 
 
良いことは良かったことだって、認められるようになった。
でも、傷がうずく。忘れさせてくれない。
記憶が、鮮明に、時を戻して、再体験させる。
 
 
 
 
 
 
こわい、つらい、かなしい
 
 
 
 
 
 
一所懸命全部の記憶のペンキを消して
それでも、黒い、暗い部分が存在して
そこが時間を関係なく、襲ってくる。
 
 
 
痛いものは痛いんだよ。
 
 
 
 
 
「全部よかった」
なんて記憶はありえない。
 
 
 
大好きだよ。大切な、大切な、私の友達。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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