昨日様子見した講座の2日目。
大体みんな完成しました。
持って帰ってやって良いよー、という子もいました。
絞り染めの子は時間がかかるので、その他の子達の作品を
横一列に並んで持ってもらって
さすがに一気に、は無理なので
何回かに分けて撮影会。
 
 
 
やっぱり、居場所がないの。
ここが私の場所!って思えてた場所が消えてるの。
 
 
年齢的には大人でも
心の成長が子どもで止まっている
大人でも子どもでもない中途半端な海梨さんは
この場所に居場所がない。
 
 
唯一感じるのは、出会った頃小さい子、だった子達が
海梨さんの精神年齢と同い年になってたり
すごく落ち着いてきてるのには、成長を感じる。
毎年参加してくれて、毎年何かしら声かけてくれて
「ちぃちゃん」って呼んでくれてた・・・
 
 
 
きっとボランティアの子達にこんなもやもやした感情を抱くのは
海梨さんの精神年齢と同じか上くらいの年齢なのに
海梨さんができること・・・・・・
そのくらいの年齢にはできてたことをできない、ってのが
経験値が集まらない環境で育ってるのだな、ってのが
もどかしいのかもしれない。
 
 
 
そして声を大にして云いたいのは
「子ども達と触れ合って
 子ども達が怪我しないように見守って
 スタッフのサポートとして役に立とうと思ってくれている子たちには
 楽しんでいって欲しい。
 けれど自分が楽しむためだけに、とか
 周囲の子どもを見ないで自分の世界に没頭しちゃうとか
 そういうのはボランティアじゃない。」
 
 
何よりも中学生が使ったグルースティックだって紙だってタダじゃないの。
子ども達は参加費払ってくれるけど、何ぼか足しにはなるけれど
それだけじゃ、講座で使う材料費自体も賄えない。
地域の助成金なかったら完全に赤な財政状況。
そんな中、やる気のないボランティアが使った消耗品というのには
充てるお金が何もないの。
そんなことやるんだったらあなたも参加費払って、と云いたくなる口を噤んで
来てくれてありがとう、と笑うのは、何か間違ってる気がする。
 
 
これからボランティアとして活動していく上での心構えというか
注意点っての、知らなかったらその子も損すると思うよ。
だって自分の成長に全く関わらないのだもの。
 
 
 
善意の人間にはお礼の言葉しか云っちゃいけないの?
こうして欲しかった、って云う希望は云えないことなの?
ボランティアって楽しいこともあるけど嫌なことだってあるんだよ。
そこから色々学んでいくことが大切なんじゃないの??
 
 
私の中で
“お仕事”=金銭の関わる責任のあるお仕事
“ボランティア”=金銭の関わらない学ぶ所の多い責任のある体験
“お手伝い”=金銭の関わらない、責任のない指示を仰いで動いていれば良いひと
という内訳がされているのがおかしいのかな。
ボランティアに責任能力を求めてはいけないのかな。
 
 
何もしない、ただそこにいるだけではボランティアにはならないでしょう?
何かしらの使命を与えられて、それをクリアできるか、クリアするための努力を惜しまないことが重要じゃないの?
それって、自分のすることに責任を持つ、ってことじゃないの?
 
 
お手伝いなら甘えても良い。
ボランティアなら自発的に動いて欲しい。
お仕事ならそれが当たり前。
 
 
考え方、おかしいのかな。
  
  
 

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k

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