赦して欲しいのは自分自身
赦せないのは自分自身
赦して解放してほしいと願うことすら罪のように感じるのは自分自身
苦しみこそが自分に与えられた罰なのだと感じるのは自分自身
 
 
 
贖罪を求めることも
自分自身を認めることも
簡単な様でいて 結構難しい
 
 
 
過去と向き合うことで何を得られたかと云えば
この病んだココロと過去の美化装置排除
得た、と云えるものは少なくて
失った、というほうが正しいものが多い
 
 
自分自身に自己肯定感が欠けていることに気づいた
でもだからってこれからどうすれば良い
自分自身を認められないのだ
まだ まだ まだ・・・・・・
こんなんじゃだめ
まだ褒めてもらえない
まだ まだ まだ・・・
これじゃだめ
これじゃ足りない
 
 
そうやって過ごしてきて
自分自身の中で満ち足ることを知らずに
充足感を得られずに
「これをやった、自分は良く頑張った」
それってただの自己満足じゃない
「あなたはよくやってるよ」
それを信じた途端こけたら痛いのは自分自身
 
 
高揚した気持ちから一気に落下するのが怖くて
 
 
自己満足じゃ満足した事にならなくて
 
 
自己否定が始まる
 
 
上手く行かないのは全て自分の所為だ
どんなにグループの人が動いてくれなくても自分の単位落とすの嫌だから自分だけでも発表できる形にしなきゃ
あぁ、疲れた。上手くできなかった。何にもできないね。
 
 
皆といるのは楽しかったけれど
テンション高いと下がったときの落差が激しいから
自己コントロールが大変、疲れた。
周囲に気を遣いすぎるのもどうかと想うけど
どう接すればいいのかわかんない。
自分なんて最低だ。
 
 
何かを頑張った自分を認められない自分を周りが責めて
そして自分自身も自分を見つめて何で認められないのと責めて
 
 
 
A判定を貰っても
次にFailを貰えば単位はもらえない。
常に成績は上の方をとっておかなければ
いつか失敗したときに保険が利かない。
70%、簡単な様でいて、微妙なバランス。
ずっと満点取り続けていても
テストとかの比重のでかい奴で最低点だせば堕ちる。
 
 
だからいつもExamまでの間ずっと頑張り続けて
Examの前に先生が云った言葉に安堵して
「万一Examが60点でも単位は落とさないわね。まぁ、あなたならそれもないでしょうけど」
 
 
 
そしてもっともっと過去
そこには落ちるとか云うそんな線引きはなかったけれど
出席日数足らなくて通知表がもらえない年もあった
そのときは先生が丁寧な手紙をくれて
 
 
 
それよりもっと前
心が病み始めるもっと前
負の感情というよりも純粋に哀しかった頃
憎しみすら覚えずに純粋に哀しかったころ
 
 
その頃の傷を今もまだ抱えているのです
 
 
 
やっぱりそれは一般には理解されない
『異常なこと』なのでしょうか
 
 
 
 
 
もしもこのまま私が自殺して
遺書にそのことを綴ったら
それは異常だと指摘されるのでしょうか
 
 
 
そんな10年以上も前のことを、と。
 
 
 
 
 
どうやれば自分自身を認められるようになるのか
どうやればその思考回路が手に入るのか
どうやればそういう風に自分の都合のいいように解釈できるのか
 
 
どうすれば自分自身を赦してやれるのか―――――
 
 
 
その答えはどこにあるのでしょうか。
 
 
 
 
 

 
 

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