「そんな所で何をやっているんだ」

 そんな風に声をかければ、びくりと動く肩。
 つつーっとぎこちない動きで振り返るのは、少し勝ち気な少女。
 こちらが出す難題にもメゲず、立ち向かう姿は、他の生徒たちのみならず、教師にも影響を与えている。
 それがよいことか、悪いことか、価値観によって答えは変わるだろう。
 だが、少なくともこの学園にとっては、良いことなのだろう。
 いくら音楽の妖精の加護をうけていても、学ぶ意志が何よりも大切だ。
 演奏して、誰かの心に何かを残せるようになるには、相当な努力が必要だ。
 演奏を聴く人にとっては、1回がすべてだ。
 通り過ぎて行くだけのはずの人が、また聴きたいと思う演奏。
 聴いた人の心に灯りを灯せる演奏ーーー
 そうなるためには努力が必要だ。
 誰にも誉められない、誰にも強制されない練習すらも楽しめる才能。
 好きなことを頑張り通せる、それこそが才能と呼べるだろう。

「あ、なんだ、吉羅さんでしたか」
「誰だと思ったのかね」

 そう問い返せば、勢いよく左右に首を振る彼女。
 問い詰めなくとも、大体予想はつく。
 彼女がここまで行動を気にするのはーーー

「見られてはまずいものか?」

 振り替えりはするが、立ち上がりはしない。
 若干隠すような手元を覗き込めば、大切そうに金属の環が掌に乗せられていた。

「アクセサリー類は・・・」

 没収だ、といいかけて、ファータの魔法の残り香に気付く。
 日野は、見えなくなっている。
 私はこの身体に流れる血のおかげで見えている。
 見えると少々煩く感じるが、見えなくなれば・・・
 見えなくなってしまえば清々するだろうと、そう考えていた。
 だがどこかで一生見えてしまう、という確信もあった。
 だから、見えなくなる、という感覚は分かりづらい。
 アルジェントは日野の斜め上を飛んでいる。
 だが彼女はもうそれが見えていない。
 アルジェントは日野を励まそうとしている。
 だがその声はもう彼女に届かない。

 契約ーーー
 コンクールの間だけのーーー

 彼女は選ばれ、そして友好関係を築いた。
 そしてコンクールが終わり、契約もおわった。
 そのままファータの加護は受けられるが、ファータを見ることは叶わなくなった。
 アルジェントの無理難題も、立ち向かって解決してきたのだろう。
 私に対してそうであるように。

『吉羅暁彦』

 肩を落としたアルジェントが話しかけてくる。
 伝えられなくなった言葉を伝えてほしいと。
 落ち込みすぎて空気が重く、調子が狂う。
 音楽の妖精の不調は、楽器の音を狂わせるように、私の心も狂わせる。
 深い溜め息を吐いて了承すると、少しだけ身体の自由が奪われる。

『日野香穂子、きこえるか?』
「え・・・」
『我が輩の姿がお前に見えなくとも我が輩はいつでもお前の傍にいる』
「・・・」
『だから安心するのだ。お前が音楽を好きでいてくれる限り、我が輩もお前が大好きなのだ!』
「・・・リリ」

 そういって泣き崩れる彼女を、泣きそうな表情で見つめるリリ。
 こんな風に身体を貸すなんて何度もないが、これは仕方ない。
 お互いを想い合う心に、いくら非情になりきろうとしても動かされる。
 思えば、彼女も私と同じファータ被害者だ。
 ファータのために哀しむ姿は、あまりにもーーーー

「吉羅、おまえさん・・・」
「あぁ金澤さん」

 神妙な表情でカサカサと音を立てて現れた金澤紘人。
 完全に姿を見せたかと思えば肩をぷるぷると震わせ笑い出した。

「金澤さん・・・?」
「・・・っひぃ・・・っくっっくっ・・・!」

 笑いが止まらない金澤さんに眉間の皺が深くなる。

「いやぁすまんすまん。おまえさんが『我が輩』だの『大好きだ』だのいってたもんだからな」
「・・・」

 リリの仕業だとは理解しているんだが、といいつつも笑う金澤さんに更に大きな溜め息が出る。

 そうだ。
 見えない人間からすれば、あれは私の言葉であり、知らない人間なら余計に。
 それを分かっていながら、身体を許した自分が恥ずかしい。
 ここが学校という公共の場で誰に見られるかわからないこと。
 ここは私の職場であり、彼女の通う場所であること。
 彼女と私が生徒と理事長という関係であること。
 その全てを失念していた自分に腹が立つ。

 その全てを失念してしまえるほど、彼女はーーー


 泣き崩れる彼女を、うまく慰めることはできない。
 それをいとも簡単にやってのけるのはちゃらんぽらんな目の前の男。
 泣いていた彼女をあやしていたかと思えば、もう軽口を叩く。
 そして少し涙は残るものの笑う彼女。

 私では、ああは上手く接することができないだろう。

 というか、私の目しか無いことをいいことに、少々スキンシップがすぎる。
 明らかに教師と生徒の枠をはみ出て恋人同士の会話になっているところに冷たくくぎを差す。
 非難の声が上がるが、気にしない ここは学校で、ここは私達の職場で、この男は部下だ。
 彼女の想い人で、私の先輩であることはこの場所では必要ない。
 彼女がせめて卒業するまでは、しっかりとけじめをつけてもらわなくては。

 彼女のおかげで、やっと前を向けた男が、彼女に対して甘くなるのは仕方ない。
 とは思うが、節度を守ってほしい。

 少しもやもやするのでアルジェントが来たら軽くしめておこう。
 こうなったのは全部奴のせいだ。
 今日の失態も、この胸の中のもやもやもーーー
 全部ーーーー









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