頬を風が撫ぜる。夕暮れの、黄昏で。
 ついこの間まで、あんなにうっとうしく感じていた熱気を帯びた風が、いまは懐かしく感じるほど。
 半そでよりも、長袖を着る機会が多くなったこの季節、朝夕の散歩が日課になっていて。
 ついこの間まで青かった穂が、黄金色に色づいて、首を垂れていた。

「もう、秋、なんだなぁ」

 そんなことを意味もなく呟いてしまうくらい、秋という季節は、なんとも云えない気分になる。
 感傷的、切なくて、少し泣きたくなるような、そんな季節。
 秋は美味しいものが多くて、涼しくて、とても倖せだと、倖せしか感じていなかったあの頃には、解らなかったこの感覚。
 何故だか、胸がいっぱいになって、そして叫びだすのもためらわれて、ただ、気持ちだけが溢れていく。

「なーう?」

 どこからか来た真っ白な猫が、足元にすり寄る。
 熱くなった目頭を押さえて、その後下瞼に溜まった雫を、誤魔化すように指で強引に払った。

「ごめんね、何も持ってないよ?」
「なーう、なーう?」

 しゃがんで視線を合わせてそういえば、単に人懐っこい猫なのか、それとも飼い猫なのか、すりすりと頬にすり寄る。
 それは、まるでこちらを気遣うような、優しさを感じられる仕草で。

「お前、慰めてくれるの?」

 よしよし、と頭を撫でる。すると身をくねらせて、自分のいい位置に手が当たるように移動した。
 ここがいい、という意思表示をするように、見を摺り寄せてくる猫に、苦笑する。
 自分も、これだけ自己主張ができれば、あの場所に居られただろうか。

 遠い記憶の中、とても居心地が良い場所があった。
 気持ちが良くて、倖せで、いつも笑っている自分がいた。
 それでも、なぜか、それは続かなかった。
 倖せだったのは、自分だけだったのだろうか。彼の気持ちは、いつから離れてしまったのだろうか。
 いま考えても、答えなど出ることはないのだけれど。

『お前、ちゃんと自分のこと考えたことある?』
『え』
『これからどうすんのか、とか、そういう将来像? みたいなの』
『うーん、このままでいちゃだめなの?』
『やー、もう、だから、その具体的な』

 焦れて、怒って、言葉を荒げて、最後には呆れられた。
 たぶん、いつまでも定職に就かないから怒ってたんだと思う。
 いつまでも、学生気分で、このままがいい、なんていうのを怒っていたんだろう。
 彼は、職場の事情とやらで、遠くへと引っ越していった。私は後を追うこともできず、毎日、同じことを繰り返し。

「あー、寂しいなー」

 叫びたい、けれど叫ぶほどの元気がない。
 全てめちゃくちゃに壊してしまいたい。それほど、喪失感は大きくて。
 壊してしまいたいけれど、こうやってすり寄ってくる猫を邪険にすることはできなくて、撫で繰り回す。

「なう!」

 撫で方が気に食わなかったのか、ちょっと噛みつくような仕草をする。そうじゃない、こっちだ、と言いたげに身体を移動させて、スリ、とまた身を擦り付けてくる。

「ごめん・・・・・・」

 上手な撫で方を知らなくて。

「ごめん」

 上手な甘え方を知らなくて。


 ぽたぽたと溢れる涙、嗚咽すら止めることはできない。
 涙で視界が悪くなって、辺りのことなど気にならなくなり、しゃくりあげる。
 時々怒って、それでも、優しくしてくれて、自分を導いてくれようとしてたのに。
 その手を取れなかったのは、他でもない自分だ。

『お前、ちゃんとしろ! その気があるなら、この日の10時、ここへ来てくれ』

 怒ったような、呆れたような声が怖くて。
 待ち合わせ場所にいけなかった。行く資格がないような気がして。
 ちゃんと、チャンスは残しておいてくれたのに。
 ちゃんと、向き合う時間は与えてくれたのに。

「ごめんなさ・・・・・」
「そういうことは、本人目の前にして、本人の顔見て云えよな!」

 聞き覚えのある声。まさか幻聴まで聞こえるようになっただろうか。
 顔を上げれば、確かに見覚えのある顔。まさか幻覚まで見えるようになっただろうか。

 会いたくて。声が聴きたくて。
 何度電話を掛けようとして、諦めたことか。
 ずっと、ずっと、怒ってるだろうな、呆れてるだろうな、嫌われてしまっただろうな、そんな風に思って。

 その想いが強すぎて、こうやって幻影を視ているのだろうか。

「ゆーと?」
「・・・・・・人を幽霊みたいに見ないでくれるかな、サク」

 いつもの声で、大好きな声で、皮肉めいたいつもの言葉。
 それでも、記憶の中よりも、優しい笑顔。
 呆気にとられた私の頭を、ぽんぽんっと優しく撫でてくれる。

 会えた。
 
 会えたの?

 会えたんだ。

 嬉しさが込み上げて、消えてしまうんじゃないかと怖くて、ユートをガン見する。
 瞬きするのが惜しい。すごく長い間、目に入らなかった存在。
 焼き付けなくては、また離れても、ずっと瞼の裏にユートがいるように。
 長い手足、一重の瞳、触り心地のいい髪。
 大好きで、大切で、失いたくない存在。

「ゆーとおおおおおおおお」
「あー、もう、ほら、泣かない! 相変わらず泣き虫だな」

 呆れたような声。それでも、何もないよりはいい。
 失って、このままではいけない、と思った。それでも、どうしたらいいのか、それが分からなかった。
 もう、この手を離してはいけないのは解る。

 このままでいい、なんていうのは、違う。

 このままではよくない。絶対に、このままではいけない。

「ゆーと、ごめんなさい、あの、」
「うん、知ってる」

 知ってる? どういうこと???
 宥めるようにもう一度撫でられて、深呼吸を促される。

「俺も悪かった。まさか、あれで伝わらないと思わなくて」
「え?」
「あのな、転勤ついて来てほしかったんだ」

 困ったように、眉を八の字にして顔を覗き込んでくるユートに、首を傾げた。
 彼は、いつそんなことを行っただろうか。
 いままで、ちゃんと彼の話を聴いてきたつもりだったけれど、どこかで間違えただろうか。

「転勤の話が来たけれど、お前がこっちにずっと住みたいとか、そういう希望があるなら、遠距離とかもあるし。
 でも、やっぱり傍にいてほしくて。でもこればかりは俺の我儘だし」
「・・・・・・・?」
「で、お前の希望があるか聞こうと思ったら、『このままがいい』っつーし」
「え、でも、それは」
「一緒にいたいのか、このままここで暮らしたいのか、よくわかんねー云い方されて、正直参った」
「ごめ・・・」
「いや、俺も云い方が悪かったんだ。なぁ、俺はお前と一緒にいたい。お前は俺と一緒にいたい?」
「一緒に、いたい。離れるのは、もう嫌だ・・・・」
「うん、それが聴ければ充分だ」

 そういって彼は満足そうに笑った。
 そしてひとつひとつお互いに確認する。これから、どうやったら一緒にいられるのか。
 どうやったら、二人で倖せになれるのか。


 これからは、時間をかけてゆっくり、考えていけばいい。














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お題:「猫」「麦」「まばたきをするのも惜しいくらいに」
お題提供:たんぽぽ様


久々に恋愛色の強いものを書いたらよくわからないものに。
うーん、恋愛偏差値低いので、想像力を働かせて頑張りました。
倖せになれよー!
たんぽぽさん楽しませていただきました。ありがとうございました♪



コメント

nophoto
たんぽぽ
2013年8月6日20:38

書いてくださって、ありがとうございます。
読ませていただきました。
涙が止まりません。
あ~!よかった・・・。気持ちが同じで・・・
ほんとに良かった・・・。

猫ちゃんの様子も、とてもよく書かれてて
そう!そう!って思いながら読みました。

k
2013年9月6日19:22

たんぽぽさん>
ふふふ、読んでくださり、ありがとうございます( ´ ▽ ` )
恋愛ものは、自分で書くと、なんだかよくわからない出来になるのですが
読んでくださってありがとうございます。

猫についてのモデルは、うちの子なのです。
猫って意外にこちらを気遣ってくれるのですよね。
すてきなお題ありがとうございました♪
k

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