ゆるやかな風、暖かい陽射し、どこかそわそわと落ち着きのない心。
 新緑が目に鮮やかで、微睡みの中に住みたくなる気候。
 新しい生活、新しい出会い、新しい友達。
 少し前まで別れに涙していたというのに、いまは期待と不安が入り混じった、複雑な心模様。

「あら、落ち着きないわね」
「? わかりますか?」

 馴染みの店に来て、落ち着いた一時を過ごしている時さえ滲み出てしまう、どうしようもない感覚。
 同じことの繰り返しだった毎日が終わり、また違った日々が始まる予感。
 陽が落ちる頃には、感傷的になることが多いのに、それにも勝る、なんともいえないこの心地。

「そうか、クラス替え、あったのね」
「はい」

 いい香りが、湯気とともに鼻腔を擽る。
 馴染の店員さんが言い当て、にっこりと笑ってくれる。

「この時期特有の感覚・・・・学生の特権ね」
「そう、ですね」
「そうよ。思う存分楽しみなさいな」

 あと数年もすれば、そんな感覚なくなるのだろう。
 こんな風に心がどこか落ち着かない、そんな特有の感覚を憶えるのは、春に区切りがある学生の内だけ。
 それを思うと、どこか足が地につかない、ふわふわとした感覚さえ、大事に心に記憶しておこうと思える。

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」

 思わず声が弾むのが、自分でもわかった。店員さんもにっこり笑って、ごゆっくり、と云ってくれる。
 金曜日、一週間が終わったことを楽しむためにこの店に来る。
 いつも注文する、この黄色の物体。
 固形物でもなく、液体でもなく、触れれば、ぷる、ぷわん、ぷる、ぷわん、となんとも魅惑的に揺れる。
 幼い頃、母に作ってもらって以来大好きで、仕事で忙しくなった母の代わり、といってはなんだが、伯父がやっているこの店で食べさせてもらう。

「んーーー!!!」

 一口すくって頬張ると、口内に拡がる甘い香り。
 香りの正体であるバニラの原液を舐めると、とてつもなく苦いのだが、やはり『甘い』と表現してしまう。
 とろとろの殆どカスタードクリーム状態のプリンもあるが、個人的には、少し固めが好きだ。
 苦みのあるカラメルに、生クリームとプリンのやわらかな甘みが絡まって、至福の時を過ごす。
 喫茶店なので、フルーツも盛り合せてあるのだが、やはり、プリンが主役だろう。
 早く食べてしまいたい衝動と、そんなに急いでは勿体ないという気持ちが合わさり、なんとももどかしい気持ちを味わう。
 もどかしいけれど、その感覚さえ楽しい。失いたくないと思ってしまうほどに。
 恐らく、週末のこの時間を欠いてしまうと、翌週頑張れない、というか、そもそも生きていくのが危うい、と感じてしまうほど、大好きな時間だ。

「こんにちはー」

 入口のベルが、カランカランと音を立て、挨拶をしながら人が入ってくる。
 その見覚えのあるその姿を見て、席を立つ。

「こんにちは、伯父さん呼んできますね」
「やあ、頼むよ、大きくなったね。美人になった」
「ふふ、ありがとうございまーす」

 穏やかな初老の男性は、伯父の歳の離れた友人だった。
 幼い頃には頻繁にこの店で会っていたから、顔を憶えていた。
 優しくしてもらった記憶があるので、お世辞をいわれても、悪い気はしない。
 この時間、店のことは店員たちに任せて、マスターである伯父は、二階の自室で書類を整理しているはずだ。
 店内の様子はカメラを通してみているので、よっぽどのことがない限り降りてこない。
 それくらい信頼して任せられるひとたちでよかったな、と思う。
 階段を上り、二階にいるはずの伯父を呼びに行くと、少しだけ風が通った。
 廊下の端にある窓があいている。恐らく他の窓も開いており、それで風が通ったのだろう。
 夕暮れの、すこし肌寒い風を感じると、途端に室内は暗く見えてくる。
 まだ明るいから、と電気をつけていなかったことを、少しだけ後悔した。
 怖がる必要はない、とわかってはいるのに。

「おじさーん」

 店の方に響かない程度の声をあげる。
 何度か繰り返してみるが、返事がない。
 不思議に思って、いつも作業しているはずの部屋へノックをして入る。
 窓際のカーテンが、ゆらゆらと揺れていた。

「伯父さん?」

 机に突っ伏している伯父の姿を見つけて、少しだけ不安になる。
 これはミステリー小説の読みすぎだ。ミステリー漫画も好きだから仕方ないけれど、身近で事件とかは起こってほしくない。
 あれはフィクションだから面白いのだ。
 不安を振り払うように頭を振って、一歩を踏み出す。

「・・・・!?」

 ギィっと軋む音に、驚いて心臓が跳ねる。
 床板が古くなっているので、その音だと理解しても、なかなか心拍数が落ち着かない。
 呼びに来ただけなのに、何か犯罪を犯した、犯人の心境に近い感覚を憶えてしまって、おかしくなった。

「ん・・・・・?」
「おじさん!」

 くすくすと笑っている声が耳に入ったのか、身じろぎをして顔を上げる伯父に、呼びかける。
 友人が来ていることを伝えると、にっこりと優しい顔で笑ってくれた。

「ありがとう。じゃあ一緒にいこうか」

 その笑顔が心を暖かくしてくれる。
 そわそわとした気持ちも、すべて包んで、優しい気持ちにさせてくれる。
 これから変わっていってしまうだろう未来に対して、感傷的になっていた気持ちさえ、すべて。

「うん、やっぱり好きだなぁ、ここ」
「それは光栄」

 ぽつりと呟いた言葉の意味は、たぶん分かってもらえていないけれど。

 そんな、春の日の想い出。





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お題:「新緑」「ぷわんぷわん」「呼びに行く」
お題提供:たんぽぽ様


随分遅くなってしまいました><
でも、書けて良かったです♪
ありがとうございましたー




コメント

nophoto
たんぽぽ
2014年8月10日23:03

読ませていただきました。

そわそわ落ち着かない気持ち・・・。

そうですね。5月、新緑の季節は、新しい生活、新しいメンバーとの季節ですね。

ぷりんの 少し固めで、しっとり焼いてあるのが、私も好き。

呼びに行き・・・・どきっとする描写も
とてもひきこまれました。

ほっとして、ほんわりしました。

読ませてくださって、ありがとうございました。

k
2014年8月11日15:45

たんぽぽさん>
読んでいただきありがとうございます♪
今回お題が更新されていることに気付くのが遅くなり
そこから書き出すまでもまた時間がかかってしまいました。
が、無事にお題で書くことができてよかったです。
楽しませていただきました!
またよろしくお願いします。
k

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