あれで帰ってきてから1週間も経ってませんが
告別式のため、行ってきました。
信徒さんや教会関係の方々だけかと思えば
伯父は教師だったので、そちら関係の方のほうが多かったかもしれません。
 
 
弔辞を聞くと、とても偉い人だったようですが
私の中では、優しいおじちゃんです。
肩書きや、功績なんか全く関係ない
ただの『伯父』そのものが好きでした。
 
 
毎年お盆の時期に母の実家に帰ると
大体が庭の手入れをしていて、着いた途端に声をかけてくれた。
その声のトーンが優しくて。耳に心地良い。
喋り方もおっとりとしていて、恐怖心を抱かせない。
 
 
 
御霊様となった現在、
親様、教祖、御霊様の三礼拝の時には
きっとおじちゃんもそこにいるんだろう。
もちろんおばあちゃんも。
 
 
私は父方の伯父(父の姉の旦那)を知らない。
一番良く知っていたのが、おじちゃん。
 
 
静かにしてる海梨さんに
おじちゃんは無理に問いを発しようとはしない。
海梨さんが答えに詰まったときに
答えを急かすような事も無理強いすることもなかった。
じっと待って、答えられないようなら、それでいい、というスタンス。
それがとても心地良い。
とても苦手な質問をしてくる人は多い。
そういう質問してくる人は、大体答えることを強要する。
答えたくないなら答えなくても良い、って言う態度はとらない。
こちらが訊いているのだから答えるのが当たり前だろう、という態度。
質問があるけど訊いても良いかな?ではなく
何で答えに詰まるんだ、早く答えろ。ということ。
 
 
訊かれなくないこと、在るでしょ?
答えに詰まること、在るでしょ?
 
 
 
おじちゃんは、そこの辺が居心地がよかった。
伯母達は何気ない質問が、ぐさりと来ることが多いから。
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日様子見した講座の2日目。
大体みんな完成しました。
持って帰ってやって良いよー、という子もいました。
絞り染めの子は時間がかかるので、その他の子達の作品を
横一列に並んで持ってもらって
さすがに一気に、は無理なので
何回かに分けて撮影会。
 
 
 
やっぱり、居場所がないの。
ここが私の場所!って思えてた場所が消えてるの。
 
 
年齢的には大人でも
心の成長が子どもで止まっている
大人でも子どもでもない中途半端な海梨さんは
この場所に居場所がない。
 
 
唯一感じるのは、出会った頃小さい子、だった子達が
海梨さんの精神年齢と同い年になってたり
すごく落ち着いてきてるのには、成長を感じる。
毎年参加してくれて、毎年何かしら声かけてくれて
「ちぃちゃん」って呼んでくれてた・・・
 
 
 
きっとボランティアの子達にこんなもやもやした感情を抱くのは
海梨さんの精神年齢と同じか上くらいの年齢なのに
海梨さんができること・・・・・・
そのくらいの年齢にはできてたことをできない、ってのが
経験値が集まらない環境で育ってるのだな、ってのが
もどかしいのかもしれない。
 
 
 
そして声を大にして云いたいのは
「子ども達と触れ合って
 子ども達が怪我しないように見守って
 スタッフのサポートとして役に立とうと思ってくれている子たちには
 楽しんでいって欲しい。
 けれど自分が楽しむためだけに、とか
 周囲の子どもを見ないで自分の世界に没頭しちゃうとか
 そういうのはボランティアじゃない。」
 
 
何よりも中学生が使ったグルースティックだって紙だってタダじゃないの。
子ども達は参加費払ってくれるけど、何ぼか足しにはなるけれど
それだけじゃ、講座で使う材料費自体も賄えない。
地域の助成金なかったら完全に赤な財政状況。
そんな中、やる気のないボランティアが使った消耗品というのには
充てるお金が何もないの。
そんなことやるんだったらあなたも参加費払って、と云いたくなる口を噤んで
来てくれてありがとう、と笑うのは、何か間違ってる気がする。
 
 
これからボランティアとして活動していく上での心構えというか
注意点っての、知らなかったらその子も損すると思うよ。
だって自分の成長に全く関わらないのだもの。
 
 
 
善意の人間にはお礼の言葉しか云っちゃいけないの?
こうして欲しかった、って云う希望は云えないことなの?
ボランティアって楽しいこともあるけど嫌なことだってあるんだよ。
そこから色々学んでいくことが大切なんじゃないの??
 
 
私の中で
“お仕事”=金銭の関わる責任のあるお仕事
“ボランティア”=金銭の関わらない学ぶ所の多い責任のある体験
“お手伝い”=金銭の関わらない、責任のない指示を仰いで動いていれば良いひと
という内訳がされているのがおかしいのかな。
ボランティアに責任能力を求めてはいけないのかな。
 
 
何もしない、ただそこにいるだけではボランティアにはならないでしょう?
何かしらの使命を与えられて、それをクリアできるか、クリアするための努力を惜しまないことが重要じゃないの?
それって、自分のすることに責任を持つ、ってことじゃないの?
 
 
お手伝いなら甘えても良い。
ボランティアなら自発的に動いて欲しい。
お仕事ならそれが当たり前。
 
 
考え方、おかしいのかな。
  
  
 
 
 
前日に天理教式のお通夜・・・
たくさん人が来てて疲れた。
親族以外の人も多いから
過緊張状態。
御霊移しも全部終わって。
 
 
息苦しい。そう思って食事の後3畳の部屋にこもった。
 
 
人が密集してる場所は
慣れている母の実家とはいえ
何でこんなに苦しいの。
 
 
伯父の死を悼む暇もなく
私は私の中の波を抑えるために必死だった。
音を立てて下降していく感情に
押さえを効かせるのが大変だった。
 
 
薬、飲んでたのに。
いま、飲んだのに。
  
 
 
もうもうもう。
ここに居るのは苦しい。
 
 
 
 
んで、この日は火葬。
お骨拾いまでやらせてもらえたけど
火葬するのを待っている間
やはりタブーな言葉が降って来て。
 
 
 
やり過ごし方を学ばなければ、
これから先もずっと苦しいまま。
だけど、だけど。
 
 
胸を張って今を一生懸命生きてるっていえるようになりたい。
学歴とか、仕事とか、関係なく
私は私なんだ、って、言えるようになりたい。
 
 
でもそれはまだ無理なの。
 
 
 
 
 
 
 
大好きなひと 大切なひと
おじいちゃんと比べるから
まだ大丈夫だってそう想ってた
 
 
伯父や伯母が亡くなったとき私は置いていかれた
それでも関係の深いこの伯父にはついていかなければ
そう想ってる
 
 
また天理教式のお葬式
二度と体験したくなかったけど
それでも老いは付きまとうもので
長く肝臓を患っていた伯父は
天理教式で云う『出直し』した
 
 
元気そうでよかった
今月初めに会って思ったこと
おじいちゃんの最期が
私にとっての最後の瞬間だから
それと比べるとあまりにも短い入院期間
 
 
覚悟はしていた 諦めていた
それでもやりきれない想いがあるのは
微かに希望を持っていたから
 
 
家のおばあちゃんは倒れて手術して
それでこっちに移り住んできてはや20年強。
渡米中も元気に過ごしてくれて
まだ生きててくれてる
そんなおばあちゃんみてるから
微かな希望を捨て切れなかった
 
 
主治医は波がある病気だから、と
余命宣告はしなかった
でも息子であるりょうにぃちゃんは
伯母に覚悟を決めておいて欲しかったのか
あの時点でもって1ヶ月だろうと云っていた
主治医じゃない内科医じゃない外科医の判断
それでもお医者様であることに変わりはない
 
 
やよちゃんも入院の報せを入れたとき
おじちゃんの希望入院だと聞いてよかったって
それでももたなかった
やよちゃんは看護師さん
 
 
家の姉妹で入院前の伯父に会えたのは私とお姉ちゃんの2人だけ
上の2人は会いに行くつもりで結局会えず終いだった
2番目の姉も看護師 直接会えばもっと近況が見えたかもしれない
 
 
突然ではないけれど死を目前にした伯父は
心の中で整理ができていた
 
 
 
ねぇねぇおじちゃん
親神様の仲間入りしてどんな気持ちですか
お道を全うして傍を楽にするために働いて
おばあちゃんには会えましたか
別に教祖様に会っては欲しくなかったのだけれど
 
 
まだお葬式の日程は決まってない
伯母ちゃんきっと張り詰めてるだろうね
りょうにぃちゃんちゃんと支えてあげてる?
伯父ちゃんが危ないから
敷地に家を建てて移住してくる予定だった
でももう無理だったね
これからはしっかり伯母ちゃんを支えてね
 
 
 
くどいようだけれど私は無宗教。
どちらかというと精霊さんが全部に宿ってる気がする。
神様じゃなくて、精霊さん。
神様なんて信じてない。
信じても願ってもその願いが叶えられることはないことを知っているから。
私は「おさずけ」してもらっても楽になれない。
どちらかといえば鍼灸師さんのほうが直接わかる。
病は気から、の発想だろうけれど
陽気暮らしが何ぼのもの。
『出直し』するのは死が付きまとう。哀しみが一緒。
寿命を全うして亡くなって、それは人間の摂理。
 
 
 
哀しみは付きまとうものだけれど。
お姉ちゃん達はここにはいない。
お父さんも月曜日からアメリカ出張。
私がお母さんを支えなきゃ。
 
 
 
フリー塾、頑張ろうと思っていたけれど
どうしようね、ダメ、かも知れない。
否、確実にダメな日はあるんだ。
来週は木曜日まであるのに
今日だって星空祭だったのに
全部全部断らなければいけないのが申し訳ない。
 
 
私だけでも行って役に立つかな。
それともお母さんを支えるべきかな。
 
 
どちらも大切だけれど、どちらを選べば良いのかわからない。
今お母さんを1人にしたくない。
でも請け負った仕事を2人分の穴を開けるのは申し訳ない。
 
 
 
センターは優しい所だから
許してはくれる、くれるけど
迷惑かけるの、申し訳ない。
 
持ちつ持たれつだよ、って云われても
昨日あんな偉そうなこと書いたのに
実行できない自分がツライ。
ボランティアなんかよりよっぽど責任ある立場なのに。
 
 
せめて私だけでもしゃきっとしてなきゃ。
お母さんがつぶれちゃう。
 
 
 
 
 
 
 
 

苦し紛れ

2008年7月6日 思考回路
 
 
 
 
昨日、伯父の所に行って来ました。
父母と3人で信州まで新幹線としなので。
 
 
 
ずっと肝臓悪くしてた伯父。
ここ数日、かなり調子が悪いらしく
たまたま父が珍しく土日に予定がなかったので
日帰りで行って来ました。
 
 
 
予想よりは、元気そう。
うん、その予想した状態が悪すぎたのだけれど。
りょうにぃが宣告した期間は1ヶ月。
主治医は波があるから持ち直すかもしれない。
 
 
それでも、伯父のろうそくは
着々と短くなっていっている。
 
 
 
まだまだ元気でいて。
おじちゃんの野菜やいろんなもの大好きなの。
お話しするのは苦手だけれど
おじちゃんの存在は好きなの。
 
 
 
努力家で頑張り屋さんで
誰よりもお道の
「傍を楽にする」=『働く』を実践してきたひと。
 
 
 
ねぇ、運命のろうそくよ。
私のろうそくをおじちゃんにあげてよ。
何度絶とうと思っても絶てなかったから
割と丈夫なんじゃないのかな。
 
 
 
お母さんや従兄姉たちが悲しむ。
 
 
 
死はどの生命にも平等だけれど
残酷なほど弄れないものだけれど
 
 
お願い、お願い。
私のいのち、持っていって。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ねむいねむいねむいねむい!!
 
 
 
午前寝、昼寝。
 
 
なんで。
 
 
あぅあぅあぅ。
 
 
 
 
 
てぃきはどうなったんだ。
(でぃーぐれ)
 
 
 
 
 
 
 
 
海梨さんにとって
アメリカ時代を総括して
『良い経験したね』
『なかなかできない体験だよ、羨ましいな』
そう云われるのは、傷を抉られるのと同義。
 
 
 
帰ってきたての頃は
本当に手放しの
『良いなぁ』『羨ましい』
という言葉を聴きすぎて
相手に悪意がなかろうと他意がなかろうと
『そんなに良いもんじゃないよ』
って暗い色のペンキで記憶が塗りつぶされていった。
 
 
 
最近になってようやく
良い所も見えるようになって
それを文字に出すことができるようになったけれど
アメリカ時代を触れることができるようになったけれど
 
 
 
それでも、痛いものは痛い。
 
 
 
何にも知らないひとの『良いなぁ』『よかったね』は
何にも知らないくせに!と、思ってしまう。
 
 
家族旅行のことや、補習校の話は大丈夫。
でも、現地校の話は別。
言葉の通じない場所に放り出された心細い気持ち
何を云っているのか解らない教室で椅子に座っていること
話しかけられても答えられない自分。
 
 
重たい、錘をつけられて、鎖で繋がれたような。
 
 
息苦しくて、生き苦しくて。
 
 
 
多感な時期に浴びせられた母国語ではない英語のシャワー。
言葉を話すことが億劫になって
別に無口な訳でもなかったのに無口にならざるを得ない状況。
話すことが怖い、と抱いた恐怖心。
 
 
人前で話すことは緊張しこそすれ
最高学年代表で入学式で祝辞を云ったこともある。
日本の友達と話すのは別に平気。
 
 
 
なのに。
補習校でさえ、特定の友達以外と喋ることが
これ以上なく怖くて、慣れるまで時間がかかった。
 
 
 
喋り言葉は、怖い。怒鳴り声が、怖い。
誰かを傷つける言葉が、怖い。
 
 
あなたがなにをかきたいのかわからない
 
 
だって、何を書いたら良いのか判らなかった。
先生との意思疎通さえ、できなかった。
やっとのことで聴きとって、頭の中で理解した言葉。
 
 
怖い、怖い、怖い。
 
 
 
 
 
総数が100だとして
80良い事があったのだろう。
20悪いことがあったのだろう。
きっとみんなは総括して全体を見てそれを『良』と見做すんだろう。
 
 
 
でも、20が見えるの。
いいことは、確かに良いことだった、って思えるようになった。
でも、20が消えない。
ひょっとしたら20じゃないかもしれない。
ホントは90が良いことで
10悪いこと、傷ついたことで、それを過大視してるのかもしれない。
 
 
 
 
それでも、10あったこと。
それが消えてくれない、忘れられない。
痛みが残る。息が詰まる。
 
 
小学校生活だって、嫌なことばかりじゃなかった。
それを嫌だったって云われて悲しかった。
私にだって確かに嫌なことや悲しいことや辛いこと在った。
 
 
 
良いことは良かったことだって、認められるようになった。
でも、傷がうずく。忘れさせてくれない。
記憶が、鮮明に、時を戻して、再体験させる。
 
 
 
 
 
 
こわい、つらい、かなしい
 
 
 
 
 
 
一所懸命全部の記憶のペンキを消して
それでも、黒い、暗い部分が存在して
そこが時間を関係なく、襲ってくる。
 
 
 
痛いものは痛いんだよ。
 
 
 
 
 
「全部よかった」
なんて記憶はありえない。
 
 
 
大好きだよ。大切な、大切な、私の友達。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
脆く崩れ落ちるものがある
弱さではなく 強がったが故の 脆さ
己の 真の心を知らぬが故の 愚かさ
 
 
 
窓を見上げる
手を伸ばす
そこにあるのは欠けた月
真円には程遠いその歪な形も
僕が見ているその角度からの表情でしか過ぎない
 
 
真の月はいつだって真円
少し太りすぎたりしないし
爪痕みたいに細くなったりしない
 
 
僕の気持ちの真の形
それは僕には見えないけれど
涙が出るんだ
 
 
何故 とか どうして とか
そんなの考えるのも億劫なほど
表の涙が延々と枯れることなく溢れるんだ
 
 
お医者さんの言葉とか診断とか
先生の言葉とか
教官の語感とか言い回しとか
 
 
 
そして思い出すんだ
 
 
アメリカの先生が小さなことを見ててくれたこと
向こうにだって上手い子はいっぱいいる
でもアートの先生はいつも
100に○するだけじゃなくて
“good job!” “nice work!” “wow!” “wonderful!”
“beautiful!”って一言書いててくれた。
いっつもエクスクラメーションマークついてた。
 
 
思い出す。
7年生に編入したての頃、Scienceのクラスで
みんなはテスト受けてるけど、私は判んないだろう、ってことで
顕微鏡を渡されて、プレパラートの中身を描いて、って云われて
絵を描くのは好きだから
それに、みんながテスト受けてる、それの代わりだから
一所懸命書いた。
何に注目して描いたらいいのか、判らなかったけれど
とにかく、見えるもの全てを忠実に描こうとして。
時間が経って、Ms.が見に来て。
褒めてくれた。ただ、それだけ。でも、嬉しかった。
しかも、それを伝えるのも私の英和辞書引き引き。
描いて、と伝えてくれるのも、上手、と褒めてくれるのも
一々単語から引かなきゃだめで面倒だっただろうに
褒めてくれた。それが嬉しくて。
 
 
9年生のBiologyのクラスでプロジェクトがあって
cell・・・核のレポートで。
イラストを描いて図示して。
それからextraで細胞も描いて
そしたらレポートが返ってきたとき
“nice work! I like your drawing!”って書いてあって
嬉々として描いてたから、そこ褒められると
好きだって云って貰えると、嬉しくて。
 
 
Geographyのクラスでgroup workをやってて
他のグループの子達は
オーバーヘッドで地図を映し出して
それを大きな紙に書き写していたのだけれど
私は待っている時間が惜しくてフリーハンドで地図を拡大して。
そしたらそれ、先生が見ててくれて。
なんて云ってくれたのか、良くは思い出せないけど
いいこと云ってくれたのは覚えてる。
 
 
 
 
あぁ、そうか。
私は褒めてもらいたかったんだ。
口で直接言われると照れ屋だし、ちょっと捻じ曲がってるから
素直に受け取れない部分もあるけど
こうやって“見てるよ”のサインをくれた
アメリカの先生たちが、ひどく優しかったの。
日本に帰ってきてから、それが欠けて
“見てるよ”のサインが無くて
名前も記号としか受け取れなくて
絵を描くプロジェクトなんて無いから、そういうのも無くて。
 
 
 
喪失感。
 
 
虚脱感。
 
 
 
 
アメリカ時代、つらかった。
でも、先生たちは、みんなとは言わない。
けど、ほとんどの先生が良くしてくれた。
外国人だから?
ううん、違うよ。
だって、プロフェッショナル、なんだもん。
先生なんて、夏休みに子どもと同じ長期休暇がある、ってだけで
お給料だってそんなに良くない。
だけど、その長期休暇さえsummer schoolが入れば無い。
でもプロだから。教えるプロだから。
 
 
アメリカの教師の世界って結構シビア。
生徒の人気で給料が上がったり
生徒の出来で給料が変わるらしい。
だから、Faleを出した先生や
生徒からの苦情が多い先生なんかは
格下げされていくらしい。
 
 
先生たちは掬い上げる。生徒を救い上げる。
extra creditをやれば他の部分でミスしててもカバーできたし
休んでいた分のワークだって後日取りに行けばやらせてくれる
できるだけわかりやすい、やりやすい授業を心がけるし
テスト前にはチャプターのレビューをこしらえたのをやらせて
テストの点数の底上げを狙う。
 
 
 
先生の世界はシビアだから
サービス業で、教えるプロだから
解らない生徒がいたら、それは自分のミスだから
授業時間が終わっても、帰りに先生は自分の教室にいる日がある。
できなかったワークをしに来る人や
質問しに来る人のための時間。
 
 
 
教えるプロ。育てるプロ。
 
 
今になって思う。
 
 
 
つらかったけど
 
 
 
認められて嬉しかったんだ って。
 
 
 
 
 
 
作り笑い
空元気
判ってる
でも気づかせない
いつも通り気だるげに
ただ毎日を惰眠で過ごして
 
 
この荒ぶる感情を爆発させないように
この負の感情を気づかせないように
 
 
ただ心を押し殺して
毎日を無駄に過ごして
 
 
ココロ?
それは当の昔に砕かれたじゃないか
もう、ここにはない
欠片さえも残っていない
粉々に砕けたじゃないか
 
 
 
何をするにも
隠した感情が
首を絞める
錘のように動きを鈍らせる
 
 
家族に向ける笑顔も偽者
愛猫に向ける笑顔も偽者
 
 
偽りだらけ
心があった所から腐敗していく
 
 
 
ワタシハダレ?
 
 
弱ってるのは
気づいて気づかないフリ
そんなの今更だから
 
 
 
 
 

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